「なんでこんなにイライラするんだろう?」仕事ができないほどイライラしていた私の怒りのわけ。

思い出しては何度もイライラすることってありませんか?
私は仕事中に手が止まってしまうくらいイライラすることがありました。
ときには部下や同僚に対して、ときにはプライベートで関わった人に対して。
思い出すとイライラするので相手が目の前にいてもいなくても関係ありませんでした。
でも、本当はやさしい自分になりたかったです。
やさしくて話しやすい人になりたいのに、イライラして感情に振り回されてしまう。
思い出して何度もイライラしてしまう。
そんな情けない私の話です。笑
イライラしちゃう自分が嫌いな方に、解決のヒントに本当になれば嬉しいです。
目次
イライラして仕事がやりにくい!
この話はかれこれ、5年以上前の話です。
私は飲食店でマネージャーをしていました。
その時、いつも怒りに苦戦してきました。
しかも、日に日に怒りのボルテージが上がっているような気がしていました。
ある時は我慢できずに相手に「わからないことがあったらちゃんと聞いてください!」ってキツい言い方をしてしまったり(普通考えてあんな言い方されたら聞きづらいと思う!笑)
怒りのあまり仕事が進められなくなって、手が止まったりしたこともありました。
やさしくなれない自分が嫌い
怒りって人間関係を壊す感情ですよね。
怒りのままに振る舞えば相手を傷つけ、空気を悪くします。そのあとの相手との関係が悪くなるのはわかりきっています。
わかっているのに、イライラしてばかりの自分が嫌いでした。
ダメだと思って我慢しても、顔に出ちゃうのでダダ漏れ、という感じでした。ついきつい一言を言っては後悔し、反省していました。態度に怒りが出てしまえば相手に伝わっていないか心配になって気になったりもしていました。まさに怒りに振り回されて、飲み込まれている状態でした。
かと言って、相手に寄り添って共感しようとしても全然無理だし、相手の言い分は聴けないしで「ちょっとこのままじゃ色々まずいなぁ」って感じていました。自分がすごく嫌な人間に感じました。
イライラしてたのは、本当は悲しいから
怒りに振り回されるのが嫌で、私は感情の取り扱いを学んだんですが、その中で気がついたことがありました。それは自分の話を聴くことの大切さです。当時の私に「自分の話を聴く」なんてアドバイスしても耳をかさないと思いますが…笑
イライラは私の心からのメッセージでした。感情について学び始めたことで自分の内面に以前より意識が向くようになった私は、怒りの下に別の感情があることに気が付きました。それは、悲しみでした。
「なんでできないの?」っていう怒りは「どうしてもっと頑張らないの?私はこんなに頑張ってるのに」「私が頑張ってることをわかってほしい」そういう悲しみが生み出したものでした。
怒りは二次感情、その下には別の感情があるって聞いたことがある方もいるかもしれません。
そうなんです。私の怒りの下にも一次感情がありました。私はその時はじめて「私は怒っているんじゃなくて、ホントは悲しかったんだ」「自分をわかってほしいんだ」って気がつきました。
嫌だと思っていた怒りは、私の心の中にある、わかってもらえない悲しみを怒りが気づかせようとしたものでした。
自分の話を聴かない私
確かにその頃、仕事は頑張っていました。いつもどうするのがベストかを考えて行動していたし、労力もかけました。でも、自分の仕事のできが十分だとはあまり感じていなくて「この辺をちょっと変えてみよう」とか「もっとこうしたらいいかな」とかそんなことばかり考えていました。
終わりなき向上心って感じでしょうか。もちろん向上心はいいことなんですけど、本当はそうやって色々考えて一生懸命な自分を認めてもらいたい自分もいたんです。
当時「がんばってるね」「よくしようと考えてるね。」なんて自分に言ってあげる事はなかったです。周りが言ってくれることもありませんでした。(本当はあったような気もするけどあまり受け取りませんでした。)
だから心の深いところに「がんばってるのに誰も認めてくれない」「わかってくれない」そんな悲しみあって「なんで私はこんなにやってるのにあなたはやらないの?」「こんなにちゃんと説明したのになんでわからないの?」って怒りに変わってしまっていたんです。
「相手に寄り添えない、相手の話が聴けない」と思っていた私でしたが、実は自分に寄り添っていなくて、自分の話を聴いていませんでした。
自分へのSOSは知らんぷり
実は心のどこかでは「わかってほしい」という気持ちに気がついていました。
でも、気がついちゃいけない気がしていました。
素直に「聞いて聞いて!」「こんなにやったんだよ~」って言っちゃえばよかったのに、「これくらいやるのが当たり前」って自分も、もちろん他人も認めてあげなかったです。
なんか認められるまで頑張らなくちゃいけなくて、でも認めてほしいって言ってはいけないような気がしていました。
怒りの下にある悲しみに気がついたとき、ちょっと恥ずかしい気分になりました。本当は認めてほしいだけなのに、自分のことを正当化して相手に押し付けているだけのように感じたからです。自分へのSOSって無視しがちなものだと思います。
方向転換が発想を変えた
自分からのSOSを受け取ったとき、何かを頑張ることよりも、自分が頑張っていることを認めることを頑張らなければ事態は変わらないのではないかと思いました。「じゃあ、そうしましょう」ってすぐにできたわけではないのですが、イライラをなんとかするために自分に優しくする、話をよく聴く、というベクトルでいこうと思いました。
定期的に自分の本音や感覚に耳を傾ける時間を取るようにしました。お風呂に入っている時間や寝る前に1日を振り返ってみたり、今の感覚をただ見つめてみたりしました。
自分に優しくする方向に切り替えてからは、人と関わるときの自分の心持ちが変わってきたなぁと感じています。
自分の事情をいつも聞いているから、自分に事情があるように相手にも事情があるんじゃないかって、自然と発想が湧くようになりました。
わかりやすく言葉にするなら「なんでわかんないの?(わかるのが当たり前なのに)」から「今どんな状況だろう?」「なんか困ってることあるかな?」に変わったという感じでした。
自分の話を聴ける人は話しやすい
発想が変わってきて、しばらく経つと嬉しいことを言われることが増えました。
ある時は偶然会った初対面の人に「こんなに話しやすい人に初めて会った」と言われ
ある時は新しく働くようになった職場で「気さくで話しやすい」と言われました。
「Shioriになら安心して話せる」なんて言う人もいて、私はどうなっちゃたんだ、と思いました。笑
自分の話を聴く、そのシンプルな習慣が私をやさしい人に変えたのだと思いました。雰囲気も変わったんだろうなぁと思います。
よく「親に優しく育てられた子どもは他人に優しくすることが当たり前になる」って言いますよね。
私はそれを自分自身にしてあげたのかもしれません。
自分の話を聞いてあげたら、人の話も聴けるようになる
自分にやさしくするのが当たり前になったら人にやさしくするのも当たり前になる
そんなものだと思います。
だから「イライラしちゃう自分をやめたい」「もっとやさしい自分になりたい」そう感じている人は、まずは自分のイライラの下にあるメッセージを受け取って、自分にどんどんやさしくすること、労ってあげる事が新しい世界への扉なんじゃないかと感じています。
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